古都、その伝統と革新
国産大豆と奥能登の塩
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古都、その伝統と革新

今日の日本料理と呼ばれるものの源流をたどると、京料理に行き当たります。

パリや北京といった、その多彩な料理で世界に名を知られる都市と同様に「内陸の首都」である京都では、遠方の食材を生かすための保存調理技術が発展してきました。

一方で、周辺の土地の素材を生かす郷土料理の側面も持っています。

 

また、その長い歴史の中で、貴族の料理であった有職料理、寺院の精進料理、茶の懐石料理、あるいは伝来の南蛮料理や中華料理、卓袱料理など、様々な料理の影響を受けてきました。

 

京都よきもの

 

「水 水菜 女 染め物 みすや針 寺と豆腐に 黒木 松茸」

 

とは、江戸の昔、二代目市川団十郎が「老いの楽しみ」(寛保二年/1742)で、京のよきものとして並べあげたものです。豆腐は京都の名物として古くから全国に知られ、現在も京料理には欠かせない食材です。

 

平安時代以降、京都は全国から食材の集まる日本の首都であり、国内のみならず外国の使節も訪れる国際都市でした。そうして集まる各地の素材や外国の料理を食文化に積極的に取り入れようとする、進取の気質が伺える事例がいくつもあります。

 

豆腐は、元来中国から渡来したものです。その起源は、「本草綱目」にある漢の高祖外孫、准南王劉安が発明した紀元前二世紀にまでさかのぼる、というのは伝説に過ぎないようですが、それでもかの地では、既に唐代には広く一般に食されていたようです。

 

日本では、入宋した僧が持ち帰ったのが起源とされています。院政末期寿永二年(1183)、奈良の神官通中臣祐重の日記に、「唐符」とあるのが日本の記録に残る最古のものであり、その漢字の表記からも、伝来のものであったことがうかがわれます。

 

豆腐は、古くは冬季にはるばる奈良や宇治から京都へ運ばれてきていたようです。その後、室町末期には、その水の良さから京都で生産されるようになり、名物となりました。

 

 

 

食材を広く世界に求める都市としての京都

 

京都の商家で、月の一日十五日に食される「芋棒」。その材料となる海老芋は南国の産、棒鱈は北海道産です。また「鰊昆布」の鰊、京料理のだしに欠かせない昆布も、はるばる北海道から、北前船で運ばれてきていました。京都には、そういった相性のいい異種の食材を呼ぶ「合わせもの」という言葉があります。

 

豆腐の加工食品である「飛竜頭」(ひろうす、いわゆるがんもどき)の名前の由来は、ポルトガル語の揚げ菓子「filhos」が訛ったもののである、という説もあり、南蛮人が京都の町にやってきていた時代を思い起こさせてくれるものです。

 

現代は、さらに世界に広く食材が求められる時代となりました。豆腐もその原材料、大豆、にがり、水は不変ですが、その原材料は各地に求められるようになっています。素材を求め吟味するその旅の一端をお見せしたいと考えます。

 

 

 

 

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