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国産大豆と奥能登の塩

北海道の大豆生産

北海道では、冷涼な土地柄が大豆の生育に適していたため、開拓のごく初期から大豆の生産が行われていました。乾燥した秋の気候は、刈り取った豆の乾燥を助けます。
さらに、味が良く、寒冷地生育に適したものへの品種改良が進んだ結果、現在国内第一位の生産量を誇ります。

 

 

国産大豆の使用—国産の意味

 

昨今、米国産輸入「遺伝子組み替え大豆」に対する消費者の不安が大きさを増しています。 なお、現在、国産大豆には「遺伝子組み替え大豆」は存在しません。

 

大豆は、日本の食品の自給率の低さの典型として引き合いに出されることが多い農作物です。その自給率は5%程度しかありません。天候不順や気象災害の影響を受けやすく、豊作凶作の変動の幅が大きい農作物です。現在、国産大豆の価格は、外国産に比べ2倍にもなります。

 

高いですけれど、国産大豆には豆腐にしたときに甘味があり、見た目が白く、さらに風味も良いというメリットがあります。

 

 

豆腐と大豆の種類

 

豆腐作りには、比較的蛋白質が多く油分の低い大豆が使われます。また糖度は味へ大きく影響します。 糖度に合わせて、自然な大豆の甘みを引き出す技術も必要です。大豆はもともと消化吸収の悪い食品ですが、豆腐に加工することで、その消化吸収率は92〜98%と大きく改善します。

 

北海道産「大豆」は糖度が高いが、蛋白質が少なく扱いが難しい、北陸産「エンレイ」が比較的淡泊で上品な味を持ち、古くから関西で用いられている、九州産「フクユタカ」は蛋白質が多く、しっかりした豆腐ができる、など、産地と品種の組み合わせが豆腐の味や風味を大きく左右します。
年毎の作況によって変動が大きいことから、「服部」では、甘さと口当たりの良さを求めて吟味を重ね、国産品のみでブレンドを行っています。

 

 

 

奥能登

 

加賀百万石の首都、金沢から電車で約3時間、距離にして100Km程度の海岸沿いに、珠洲市奥能登塩田村はあります。内浦といわれる海岸は女性的なおだやかな風景なのに比べ、日本海に臨む外浦の海岸は荒波の打ちつける、厳しい海です。

 

かつて、石川県は「加賀の国」と「能登の国」、ふたつの国に分かれていました。
能登半島は、金沢市に近い方から「口能登」、「中能登」、「奥能登」の、3つの地域に分かれています。冬の厳しい「奥能登」は、かつては峻厳な山地と荒れた海で他地域から隔絶された土地であったようです。

 

 

塩づくり

 

江戸時代、塩づくりにはふたつの方法がありました。 塩の満ち引きを利用して、遠浅の海から海水を導き入れる「入り浜式」は瀬戸内海で発展。その他の地方では、海水を人力でくみ上げる小規模な「揚げ浜式」の塩づくりが行われてきました。塩は、貨幣経済がそれほど発達していなかった時代、貨幣の代わりに使われ、各地域の貴重な交易物資でした。

 

現在、大規模な塩の生産は、工場でのイオン交換樹脂による工場生産に取って代わられています。

 

能登地方では1596年より「揚げ浜式」での塩づくりが行われてきました。

ただ一カ所、奥能登塩田村では、現在でも500年前とほとんど同じ方法で塩が作られています。

 

 

 

自然塩とにがり

 

にがりは豆腐を凝固させるだけでなく、豆腐の味にも影響を与えます。
にがりとは、塩の精製課程で得られる副産物です。人工的に精製された塩とは違い、自然塩には様々なミネラル分等が含まれています。そこから得られる自然塩からとれたにがりも、同様に豊富なミネラル分を含んでいて、豆腐の味に微妙な深みをもたらします。

 

 

 

服部の「にがり」豆腐

 

「服部」では、この奥能登塩田村のにがりをはじめとして、数種類の自然塩からとれたにがりを適材適所で使い分けています。

 

豆腐の凝固剤としてのにがりは、戦時中マグネシウムの生産のため、にがりの使用が制限されたこともあり、戦後すまし粉にとって代わられていました。
高濃度の豆乳との組み合わせは、「寄せ」とよばれる凝固作業を難しくしますが、「服部」は京都における「にがり豆腐」の復活を昭和55年に果たしました。

 

 

 

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