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南禅寺の豆腐

南禅寺、その歴史

 

南禅寺は京都の東山の麓の景勝の地にあり、正式名は瑞龍山太平興国南禅禅寺、臨済宗、黄檗宗十五の本山の一つ、南禅寺派の総本山です。 その起源は、亀山上皇が無関普門禅師(大明国師)に帰依され、「利生の悲願」を目指し、その離宮を寺とされた正応四年(1291)にさかのぼり、室町時代には臨済宗京鎌倉、両五山の上位「五山之上」とよばれる禅宗寺院最高の寺格にあって、その歴史は七百十余年に及びます。今年(2004)は亀山上皇御忌七百年にあたります。

 

歌舞伎「楼門五三桐」での石川五右衛門の「絶景かな、絶景かな」の台詞で知られる雄大な禅宗様三門や、南禅院の貴重な鎌倉後期の池泉回遊式庭園が有名です。境内の疎水や紅葉も名所となっており、四季を通じて観光客が絶えることがありません。

精進料理

 

食材を無駄にせず、素材本来の味を生かし、調味料を極力使わない精進料理の影響は京料理の、随所にあらわれます。

 

豆腐は、元来精進料理の食材として禅宗の寺で食されてきました。鎌倉時代、入宋した禅僧が、醤油、納豆、うどん等とともに、日本に持ち帰ったのが起源である、と考えられていることからも、寺院とのつながりは、極めて深いものです。 精進料理では、獣肉、魚介等のなまぐさものをいっさい使いません。だしは鰹や煮干しなどではなく、椎茸や昆布を使います。現在の京都では、湯豆腐は昆布のみで食すことが多いのですが、精進料理の影響の一端が窺えます。

 

 

門前の湯豆腐

 

京都南禅寺といえば、門前の湯豆腐で有名ですが、いつの頃からそれが名物になったのかは定かではありません。元禄頃の江戸の狂歌に、豆腐の西の名所の代表として南禅寺の名前があがっていることから、江戸時代中期には、すでにその門前の湯豆腐は、全国的に有名であったようです。

 

 

南禅寺豆腐・服部

 

南禅寺より「南禅寺どうふ」の名称を名乗ることを許されているのは、唯一「服部」のみです。
その名に恥じないような、真摯な豆腐づくりに邁進していきたいと考えております。

 

 

森の静謐

東山連峰と鴨川の間に二つの丘陵があります。

東に鹿ヶ谷をはさんで五山の送り火の左大文字で知られる東山如意ヶ嶽、西に御所の緑をのぞむその二つの丘は、北の丘陵が吉田山、連なる南の丘陵には京都では「黒谷さん」の愛称で呼ばれる金戒光明寺や、別名「真如堂」真正極楽寺があり、市街地からそう遠くないにもかかわらず、驚くほど緑豊かな一角です。

その黒谷に、創業以来「服部」は店を構えてきました。

ひっそりと息づく自然に守られた土地で、豆腐作りを行っています。

 

 

 

 

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